サンテグジュペリはそれでも空を目指し続けて本を書いた。最後はきっと笑った。

例えば”人生”というものの定義が今と異なったもので、一日一日の生活を人生と呼んで、今日22歳になった人が8036回目の人生を送っていると考えられたら、今より人生は楽しくなるでしょうか?

たぶん変わらないと思います。

だって、実際にはそうは考えられないから……。

でも、心のそこから考えられたら、楽しくなるんじゃないかなと僕は思います。

もうすぐ人生が終わってしまう。その前に……。

本気でそう考えられたら、何かできる気がします。


でも、なぜそこで頑張るのでしょう?


それは何も一日一日が人生だと考えなくても同じことです。

今の人生の定義で言うなら、後の世代に、もしくは親しい友達に、

僕の人生の定義で言うなら、8037回目の人生のために、

何か残そうとするからでしょう。


それは至極当たり前のことで、実際に今日一日に誕生して今日中に滅びる生命は何億といるわけで、でもそんな生命もやることは一緒で、後の生命に繋げる何かを残すはずなのです。


鼓動を渡そうとするはずなのです。



まぁつまり何が言いたいかと言うと、将来のことで少し悩みました。

が、何になりたいと考えるのではなく、一日一日を次に残す何かを作るために生きていけたら、それでいいんじゃね?

という結論に至りました。


サンテグジュペリだってガリレオだって、”何か”になったわけではなく、”何か”を残したのです。


それでいいやね。